おとり捜査とは
おとり捜査については、法律上の定義規定が存在しません。
最高裁は、おとり捜査とは、「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が、その身分や意図を相手方に秘して犯罪を実行するように働き掛け、相手方がこれに応じて犯罪の実行に出たところで現行犯逮捕等により検挙する」捜査手法をいうとしました(最決平成16.7.12)。
この定義によれば、犯行を働き掛けることが本質であるため、積極的な働き掛けをせずに、相手方が犯行に出るところを待って検挙する捜査手法は、おとり捜査には該当しないことになります。
おとり捜査の根拠規定
刑訴法上には、おとり捜査を認めた明文の規定はありません。おとり捜査が強制処分に該当すれば、強制処分法定主義により、刑訴法上に根拠規定がない以上、一切認められないことになります。
そのため、まず、おとり捜査が強制処分なのか任意処分なのかを考えなければなりません。
違法とされる根拠(問題の所在)
対象者法益侵害説
おとり捜査によって侵害されるのは、対象者の「公権力から干渉を受けない権利(人格的自律権)」ないし「国家の干渉を受けることなく独自に意思決定する自由という人格的価値」であると考え、その違法性の根拠を対象者の法益侵害に求める見解。
↑批判
「おとり捜査は、犯罪遂行の意思決定の動機への干渉は認められても、強要・脅迫などにより対象者の意思決定の自由そのものが侵害・制約されて否応なく犯罪を実行させられたといった特殊例外的な場合(この場合はまさに意思決定の自由の侵害として強制処分となろう)を除けば、犯罪の遂行自体の意思決定については対象者自身が自律的に行っている」というほかない(古江頼隆『事例演習刑事訴訟法〈第2版〉』150頁)。
保護法益侵害惹起説
対象者の法益を侵害することが違法性の実質であるわけではなく、本来国家が刑事実体法により保護される法益の侵害の危険を自ら惹起ないし創出する点に違法性の実質があると考える見解。
捜査の公正・司法の廉潔性説
本来犯罪を抑制すべき国家が詐術を用いて人を罠にかけて検挙・処罰する点で不公正な捜査であり、捜査の公正や司法の廉潔性に反するため、おとり捜査は違法であると考える見解。
強制処分該当性
おとり捜査の対象者は、働き掛けをしている者が捜査機関あるいはその協力者であることを知らないという点に錯誤があるだけで、犯罪が禁止されていることを理解した上で、自らの意思に基づいて犯罪を行っているため、意思決定の自由は侵害されていません。
また、対象者は犯罪が禁止されていることを理解しているため、意思決定に必要な最低限の基盤は与えられており、人格的自律権が侵害されたとすることはできません。
したがって、憲法の保障する重要な法的利益を侵害していないため、「強制の処分」(197条1項但書)には当たりません。
おとり捜査の許容性と限界
二分説
おとり捜査を「犯意誘発型」と「機会提供型」に区分し、「犯意誘発型は違法、機会提供型は適法」とする裁判実務を支配していた見解です。
では、なぜ、犯意誘発型と機会提供型とで、違法か適法かの結論が変わってくるのでしょうか?
その理由は、もともと犯意を有する者に働き掛けて犯行の機会を提供した場合には、国家が犯罪を創出したとはいえないが、犯意がない者に働き掛けて犯罪を実行させた場合には、犯罪を抑制すべき国家が犯罪を創出したことにあります。つまり、この見解は 捜査の公正・司法の廉潔性説と整合的です。
しかし、国家が犯罪を創出するのは、犯意誘発型に限ったことではなく、機会提供型においても、捜査機関の働き掛けがなければ当該犯行は行われなかったはずです。そう解すると、犯意誘発型でも機会提供型でも、国家が犯罪を創出する点において違いはありません。二分説にはこのような批判がなされています。
197条1項説・比例原則説
最決平成16.7.12は、「少なくとも、①直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において、②通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合に、③機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象におとり捜査を行うことは、刑訴法197条1項に基づく任意捜査として許容されるものと解すべきである」(①②③は筆者による)と判示しました。これは、あくまで本件の事案に即した判断であり、おとり捜査として許容される場合が①~③の場合に限られないことを示すために「少なくとも」との文言を付したと考えられています。
昭和51年決定は、有形力の行使を伴う任意捜査につき、何らかの法益侵害又はそのおそれがある以上常に許容されるものではなく、「必要性、緊急性なども考慮したうえ、具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容される」としています。これは、具体的事案に即し当該捜査手法を用いる必要性とこれによって制約される利益を比較衡量し、相当と認められることが必要とするものですが、この判断枠組はおとり捜査の許容性の判断にも妥当し、本決定も同様の判断枠組を採っているものと解されます(伊藤栄二『刑事訴訟法判例百選〈第10版〉』23頁参照)。
もっとも、(対象者の法益を侵害することが違法性の実質ではないと考える見解からは、)おとり捜査によることの「必要性、緊急性」と衡量すべきなのは、「侵害される対象者の法益の性質・法益侵害の程度」ではなく、「惹起・創出される犯罪がもたらす法益侵害の性質・程度」です。
必要性と態様の相当性の相関関係説
上記最高裁(最決平成16.7.12)の原審は、「おとり捜査の適否については、おとり捜査によることの必要性とおとり捜査の態様の相当性を総合して判断すべきものと解される」としたうえで、「本件おとり捜査は、証拠収集の必要性の強い事案において、相当な態様で行われたといえるから、何ら違法な点はな」いと判断しました。おとり捜査について、 必要性と態様の相当性の相関関係説を採用したとされています。また、原審は、犯意誘発型か機会提供型かについては、おとり捜査の態様の相当性において考慮しています。
この相関関係説は、おとり捜査が適法とされるためには、「おとり捜査によることの必要性」と「おとり捜査の態様の相当性」の双方が必要であると考えます。そして、必要性が弱くても相当性に問題がない場合や、相当性に多少問題があっても必要性が高い場合には、両者が補完することにより、適法となり得ると考えます(池田・令状基本問題(上)41頁)。
おとり捜査が違法なときの処理
違法なおとり捜査によって得た証拠物の証拠能力について、違法収集証拠排除法則を適用するのが一般的です。
もっとも、おとり捜査については、おとり捜査令状なるものが存在しないため、令状主義の統制下になく、「令状主義の精神を没却」することはありません。通常の違法収集証拠排除法則の文言を少し変える必要があります。
札幌地決平成28.3.3は「本件おとり捜査には、令状主義の精神を潜脱し、没却するのと同等ともいえるほど、重大な違法があると認められるから、本件おとり捜査によって得られた証拠は、将来の違法捜査抑止の観点からも、司法の廉潔性保持の観点からも、証拠能力を認めることは相当ではない。」としました。
他にも、おとり捜査の対象者を無罪とする説や、免訴ないし公訴棄却(338条4号)する説がありますが、支持されていません。
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