[刑法]原因において自由な行為

刑法

間接正犯類似説

実行行為 ▷ 責任能力を欠いた状態で行われた結果行為を実行行為と捉えます。
責任能力 ▷ 意思決定のときに存在すれば足り、必ずしも実行行為時には不要です。

間接正犯が「他人」を「道具」として利用して犯罪を実現するのに対して、原因において自由な行為は「心神喪失状態の自分」を「道具」として利用して犯罪を実現すると考えます。

そして、間接正犯においては他人を道具として利用する行為を実行行為と解するところ、原因において自由な行為においても、結果行為ではなく、心神喪失状態の自分を利用しようとする原因行為を実行行為ととらえます(実行行為と責任能力の同時存在の原則を維持)。

肯定意見としては、「身分なき故意ある道具」「故意ある幇助的道具」と同様に扱う、ということが挙げられます。

間接正犯類似説に対する批判としては・・・

批判

①実行の着手時期が早くなりすぎる

原因行為を実行行為とみるのには無理がある。
(Ex.飲酒行為には人を死亡させる現実的危険性がないため、飲酒行為を殺人罪の実行行為と見ることはできない。

③結果行為の状態が心神耗弱にとどまる場合、心神耗弱状態の自分は「道具」とはいえないため、原因において自由な行為の法理を適用することができず、39条2項により刑が必要的に減軽されるにすぎない。心神喪失になれば完全な責任を問えるのに、心神耗弱では刑の必要的に減軽されるというのでは不均衡である。

といった点が挙げられます。

同時存在の原則修正説(多数説)

実行行為 ▷ 責任能力がある状態で行われた原因行為を実行行為と捉えます。
責任能力 ▷ 実行行為時に認められます。

行為と責任の同時存在の原則を修正し、結果行為の時点では完全な責任能力がなかったとしても、原因行為の時点で完全な責任能力があったことを根拠に、その結果について完全な責任を問えるとする考え方です。

この見解は、責任とは非難可能性であり、非難可能性は行為者の意思決定に向けられるものであるため、責任非難にとって重要なことは、形式的に責任能力が実行行為と同時に存在することではなく、実行行為が完全な責任能力のある状態での意思決定の実現であるといえることであると考えます。

実行行為を結果行為と考えるため、原因行為から結果行為への意思の連続性が必要となります。

規範例

 行為者は行為(結果行為)に至る前に自ら飲酒・薬物摂取等することで責任無能力状態を作出しており(原因行為)、このような場合にまで不可罰(刑の必要的減軽)とするのは不当である。
 そこで、完全責任能力のある原因行為の時点における意思決定に貫かれる形で結果行為が実現されていると考えられる場合は、全体を一個の意思の実現過程と捉え、結果行為について行為者の責任能力を肯定すべきであると解する。
 そして、原因行為者時の自由な意思決定に基づいて犯罪が実現されたと評価すべきためには
①原因行為時に犯罪の故意が存在していること
②当該故意が結果行為時まで連続していること
③原因行為と結果行為との間に相当因果関係があることが必要である。

同時存在の原則修正説に対する批判としては、

批判

予備行為あるいはそれ以前に溯る意思決定に対する非難を可能としている点で可罰性を拡大しすぎるおそれがある

ということが挙げられます。

併用説

結果行為が故意でない場合には間接正犯類似説を採用し、結果行為が故意の場合には同時存在の原則修正説を用いる考え方です。

二重の故意の要否

原因行為時点で、❶「構成要件該当事実の認識・予見」のほかに、❷「自己が心神喪失になることの認識・予見」は必要でしょうか?

必要説:心神喪失状態を利用する意思が必要である⇒(間接正犯類似説)。

不要説:意思の連続性があれば足りるので、不要です⇒(同時存在の原則修正説)。

※※刑法[定義・規範]を暗記する際には以下の記事を参照ください※※

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